
- ぬスピリチュアルな世界… 昔から特に興味は有りませんでした。
今もそんなに興味ないかな。
世間でいうところのスピリチュアルな世界と、私の認識してるスピリチュアルには
そもそもへだたりがある。
目に見えない世界は普通に自分の生活の中にあるものだから。
そもそも特別なものでもなんでもない。
特にみんなに大声で伝えるようなことでもないと思ってた。
例えば夜明けの半覚醒の時にに急に思いつく
「あっ!そうか。こうすれば良いんだ!」とか、
「あの人はあの時こう思ってたのね。」とか。
午前中の掃除の時にふと思いつく「そうか!」はいつでも私のそばにあることで、
ワザワザ瞑想して降りてくる考えでもない。
小さな頃から行ってきた小さなジンクスたち。
私の場合は「あっ!これ、このままにしていたら起こるかもしれない」っていう心の中の声(警告?)を無視すると必ずそのことが起こってしまう。
それを防止するには声に出して 「そんなことは起こりません」って言うこと。
言霊の力を借りるんだね。
そうするとその嫌な事が起こらない。
これね、小さい頃から私においてはしゅっちゅうあることだったの。
だから心の声を無視しないようにしてる。
こういう【自分ジンクス】ってみんなあることなんじゃないかな?
「スピリチュアル」っていうけど、そもそもなんだろうね?
スピリチュアルを信じること=スピリチュアルに頼りきること ではないと思う。
そしてスピリチュアル=おまじないなど、努力もせずに現実を動かそうとすること でもない。
人間の肉体に宿る光。
私は大学生の頃、一度だけだけど、人の中に在るまぶしい光を見たことがある。
その光のイレモノである肉体は
(大学生の私にしてみたら)「オッサン」でした。
↑36歳くらいの方でした。。。ごめんね~(汗)
でもその「オッサン」の中に宿る光はとても眩しくて大きくて
とっても綺麗だった。まるで夏の日の太陽みたいだったの。
私の肉体の目では「オッサン」を見てましたが、
心の目ではまぶしい光を見てました。
そんなことがあってからかな?
「私たちはみんな眩しくて大きな光を肉体の中に隠してるんだな」
と信じるようになりました。
頑固に「私はスピリチュアルは信じません」なんて姿勢をやめて
もっと柔軟に「目に見えない存在もあるんだな」って認めて眺めてみるともっと楽になるとおもう。
もしかしたら「スピリチュアル」って言葉に反発してるだけなのかもしれないけどね、そういう人は。
「現実世界に役に立つ目に見えないモヤモヤワールド」って呼べばいいのかな。
肉体を卒業してエネルギーだけになった存在はそのあたりにいるし、モノや植物も理解してるんだよね、実は。
だから私は何か大事なことがある時は部屋の植物や椅子、やテーブル、ぬいぐるみたちにサポートをお願いしています。
あと、部屋に「ありがとう」っていうしね。
そして日々仲良くなれるように、お手入れする。
小さなころ、誰もが信じてたワールドって存在してるって思う。
間にか話しかけなくなってただけだったね(*´ω`*)
ちなみに、モヤモヤワールドを信じたところで現実のしっかりした自分が脅かされることは決してないから。
むしろモヤモヤさんを信じれる自分になることで、周囲の人に受け入れられやすくなるかもしれません。
でもそんなモヤモヤワールドの存在を否定したい人の正反対に位置するのが「スピリチュアル依存症」の人。
現実世界をしっかり生きることをせずにモヤモヤワールドの力だけを頼ろうとする人。
そういう人はもっと現実を自分の目で見て目の前にある仕事を効率よくやる方法、
「誰かのためになるように」、丁寧にやることを考えるといいかもね。
つまりもっともっと有能な人、一流の仕事人になる修行をしてみるといいよね。
大事なのは現実世界で脳を働かせて効率よく働くこと、
そしてその際には心の声、宇宙からのサインを見逃さないこと、
そして目に見えない存在はいるし、
モノや植物にも言葉を理解する力があることを忘れないことかな。
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